脇見恐怖症の何が一番辛かったかを書いていきます。
脇見恐怖症で一番辛かったこと
これは脇見恐怖症の方々でも色んな答えが出てくるかと思います。私が一番辛いなと思ったことは「一言も話したことのない人から嫌われること。」でした。というのも「人との出会いは奇跡」だと思っていたことがあります。出会うこと自体は今でも奇跡だとは思いますが、出会ったことは奇跡。でも、仲良くなるかどうかは別のお話。
一言も話したことのないひとたちが、「あの人見てくる」と噂を聞いて「気持ち悪い」などと感じ嫌い、離れていくことがすごく辛いなぁと克服した今でも思い返すと心が痛いです。120人ぐらいのフロアで「あの人見てくる」と噂になり、60人ぐらいは私に敵意むき出しでこっちを睨んでくる日々。残りの方々は同調して陰口などを言われていました。
それが4カ月続いたときは毎日お腹が痛くて、プロジェクトのチームメンバーも批判的な評論家気取りが多く本当に大変でした。そういうポジティブではない連続の小さな事象が積み重なると正直きつい。この場合は環境を変える行動をするしかない。
人は10人いたら
- 2人は親密な関係
- 7人は普通の関係
- 1人は合わない関係
このような関係になると聞きます。
ただ、脇見恐怖症の場合はその定説の殻を容易に破ります。実体験に基づく考察だと
- 2人は分け隔てなく接してくれる関係
- 8人からは陰口を言われる関係
こんな感じでした。そうです、やっぱり普通の関係になりそうなグループですら悪口や陰口を言われてしまうのが繰り返しになりますが一番辛かったと今でも思います。話せば仲良くなれる可能性もあったのにね。うまく伝わらない想いと現実の乖離が本当に悔しい日々でした。
なんだろうね、脇見恐怖症って。
克服した今は、脇見恐怖症とは
「人から嫌われる事実を受け入れることができない状況が継続していること」
これも一つの答えなのではないかなと思います。
当時の自分には「合わない人に合わせようとするのも一つの優しさだけど、優しすぎだよ。よくやっている。だから執着せずに気の合う人をはやく探そうよ、見つかるよ。」と言いたいです。
どんな人気者でも一部からは必ず嫌われてしまいます。嫌われていいんです。合わない人は合わない。それを受け入れて好きな人、大切な人達と過ごす人生のほうがずっとおもしろい。
脇見恐怖症の時は本当にすごく苦手なひとにも嫌われないように必死で。他の人に「あの人実はすごく苦手でメンタルがもう持たないです」と相談したことがありました。すると、驚くことに「え!?ぜんぜん苦手な風に見えませんでした!寧ろ仲良いのかと思っていました!」と答えが返ってくることがありました。そのぐらい、周りの人は気付いていなかったのです。人の気持ちなんて話さないとわからないんだなぁと。話しても嘘をつく人もいるわけですし。むずかしいよね。
HSPだったら、自分の中でこれまでの人生の対人関係の経験を知らず知らずのうちにデータ化していて。無意識に親子関係のケースが複雑に絡み合ったDBから似た性格や仕草、言葉遣いなどを条件にクエリを発行。結果「あの人はこんな感じなんだろうな~」みたいな答えを出してしまうのですが、HSPではない人は、私と苦手な人が一緒に仕事をしているときは仲良くコミュニケーションをとっているようにしか見えなかったらしい。脇見恐怖症は周りの人に無理していることに気付く隙すら与えずその日その日をがんばっているのかもしれない。過去の自分も、現在脇見恐怖症の方々も毎日お疲れ様でした。
辛い辛いと言っても人生は変わらない
辛い辛いといっても人生は変わらないので、少しずつ小さく自分を変えていった結果、脇見恐怖症を克服しました。以下のリンクは脇見恐怖症を克服したレポートみたいなものです。実践できそうなことから小さく挑戦してみてくださいませ。あなたが脇見恐怖症を克服できることを心より願っています。